ラブアンドピース運動
やたらと平等を訴えるのに
大事な局面になると「女」を出してくる感じの人に昔からドロップキックをかましたいと思っている
と、ツイートしたら凄い勢いでフォローを切られたり暴言を吐かれたりするだろう、なのでブログで書く
そもそも僕は冷静に、平等になんて無いと思っている、性別はもちろん、あらゆる局面で
唯一平等に似たものが成り立つとするならば、平等ではない事を許容できるかどうかだ、許容できない事を僻んだり憎んだり蔑んだりする事が何よりも醜い悪だと思っている、とっとと立ち去れ、と言いたい
性別、育った家庭環境、持ち合わせた能力、身体的特徴、その他もろもろもろもろ
生きとし生けるものが平等だった事があるか?
いやー無い
才能は努力で補える、なんて綺麗事だと思っている
才能が無いけど凄い努力して成功する人もいるだろう、けどその一方で才能もあって努力もしちゃってる人もいる
そうなってくるとその差が埋まる事は永久に無い
家柄が偶然にも凄くいい家庭ですくすく育ったボンボンがいるとして
極貧家庭でギリギリ生活を送った子供だっているだろう
色んな例をあげればキリが無いくらいに平等は無い
大事なのは両者の目線で、例えば才能が無い人の努力を一瞬で飛び越えてしまった才能ある人が才能の無い人のその努力をリスペクトし、一方で才能が無い方の人が努力が才能に及ばなかった事を認め何かを諦めたり見つけたりする時のみ、人対人の平等に近い何かが生まれるんじゃないかな、と思う、でもそれすら平等では無い
だが!残念ながら!ほぼそんな奇跡は起きない
交通事故に会う確率の方が遥かに高いくらいに起きない
じゃあ開き直って差別してしまえ、と言ってるのでは無い
自分という人間がどこまでならばそれを許容できるかを、そこだけをめちゃ考えた方がいいよ、という事だ
どうしてもこいつのこういう部分が私の心のキャパシティにおさまらない
おさまらないことを、述べるな
わざわざ
それをいちいち共有するな
近寄るな
何も言わず立ち去れ
そう、しかし平等では無いのだ
許容できない、どうも解せない、なんか腹立つ
のに立ち去らない人々に私も怒りを感じている
自分もまたそれを許容できてないのだ
でも俺は少しずつ気付いてるんだ
確かに俺も昔はあらゆるものに憎しみを抱いていた、日常のしがらみや人間関係、態度の悪いコンビニの店員、狭い歩道で歩くのが遅いおばはん、自転車でぶつかってくるおばはん、大群で歩く子供、街は俺のキャパシティを超えるイライラに溢れていた、必要の無い怒りを抱えていた、疲れた、疲れたくなかった、目を向けない事にした
お前と俺はけして平等にはなれない別の人間、でも俺はあんたが大スターでも、最低のゲス野郎でも、許容するぜ、何でもいいぜ、少なくとも今はマインドはそんな感じでいってるぜ、これが成長なのか諦めなのかはまだわからないぜ、それでも苦手なやつはいるから、絶対近寄らないぜ
頼むぜ
それが俺のワールドピースだよ