卵の気持ち

今年もひっそりと夏の終わり、まあまあ前の話だけど誕生日を終えた、昔から誕生日を祝ってもらいたいという気持ちがあまり無い

よくバンドなんかをやっていると他のグループの方なんかが〇〇バンドの〇〇生誕祭!

とかをやってるのをよく見たりする、実に正しい姿だと思う。

そもそも音楽なんてやる人間は根っからの目立ちたがり屋で自己顕示欲のバケモノみたいな連中なので目立つ口実さえあれば何でもいいのだ、の精神

実に理にかなった目立ち方であり、見ていて気持ちがいい

またぜんぜん音楽をやってる人でも無くても誕生日を祝ってあげたりすると非常に喜ばれる、何がめでたいのかはわからないけど人が喜んでいる姿って可愛らしい、非常にチャーミングである

あとぜんぜん関係無いけど戦争映画なんかで

「今日は娘の誕生日なんだ、、」

って言ってペンダントみたいなののちっさ〜い写真を切なげに見るシーン、一度やってみたい

そうやって人の心を動かす誕生日だがなんでそこまで俺に響かないのか

別に死ぬほどひねくれてるとかでも無いし、聞かれたらいつだよ、と笑顔で答えるし

祝ってくれたら素直に喜ぶ、

喜びながら「もーほら、そんなにめでたい歳でも無いから!」といつもより大きい声を出して照れてしまう可能性もある

たけど主張する意味は無いな、と思う気持ちは変わらない、本当に興味があるならば聞いてきてもらえるだろうし、聞いてこないのならば自分のそういう部分に興味がある人は少ないのだ、そしてそれは悲観する事じゃ無い、むしろ自分の誕生日なのに自分にさして興味無い人達にこの日が誕生日だから祝ってほしいなんて乞食みてえな事をして祝ってもらって惨めな気持ちにならないだろうか、、誕生日なのに、、

という気持ちがあるんだと思う

みんな誕生日なんて聞かないが年齢ばかりを聞いてくる、驚くほどみんなそれを聞く、自分が今どの年齢でどの位置にいてこの人はこの年齢でこんな位置にいるのか、結局みんなの興味は自分の立ち位置、そこであり

この人の生誕を心から祝ってあげようなんて人は少ないものなのだ

そして少なくていいとも思うし

誰も知らないならぜんぜんそれでいい

自分で美味しいもんでも食べて、今年はいい年にしようね、で良いのだ

でも本当に寂しかったら何でも言える友達とか、友達がいない人は何言っても許してくれそう、受け入れてくれそうな感じの人、例えば俺とか、そういう人に誕生日なんだよね〜、って言えばいいと思う

沢山のほんとに祝ってるのかもわからんやつらにワイワイ言われてめちゃめちゃに酒を飲んだ挙句になんとなく楽しかった気がする、って終わらなきゃいけない決まりなんて無いんだよ

 

そんな事を思いながら

フライパンを温め、卵を二つ落とした

まさかコイツらも生まれ落ちるその前に灼熱の鉄板の上で焼かれるとは思ってはいなかったろうし、横のベーコンは更に悲惨だ、みなまで言うまい

人が生き物を襲って食っていい道理など無いのだから

 

いや〜しかしベーコンエッグって言うのはなんでこんなに美味いのかね

 

あ、しまったー、ブラックペッパー買い忘れた〜